設立の趣旨

22年の7月より鹿児島のホーストラストにて繁養されており、11名のサポーターでマイティドリームを支えておりました。
この度マイティドリームの会を設立するにあたって、ここにたどり着くまでの経緯を、そして想いをお伝えできればと思います。

マイティドリーム。
競馬ファンの中には、この名に聞き覚えのある方もいるのではないでしょうか。
父ディープインパクト、母ラグジャリー。
半兄には12年産経大阪杯を制したショウナンマイティ、半弟には18年青葉賞を制したゴーフォザサミットがいる良血馬です。

私は道半ばでこの世を去った兄ショウナンマイティのことが大好きでした。
彼がターフを去り、心の中にぽっかりと穴があいてしまったような、そんな中、バトンタッチしたように現れたマイティドリーム。
その姿はショウナンマイティにそっくりで、兄の果たせなかった夢を、想いを、弟のマイティドリームに重ねたファンは私だけではなかったはずです。

マイティドリームはディープインパクトの最高傑作と謳われ、デビュー数戦は1番人気に推されました。
しかし勝てそうで勝てないレースが続き、中央の登録抹消、そして地方へ。

園田初戦では2着になったものの、数戦後佐賀に入厩しました。
佐賀では大事にされていた様子でしたが2019年9月28日のレースを最後に再び馬柱にその名が記されることはありませんでした。
そして登録抹消後、マイティドリームの行方はわからなくなってしまったのです。

やるせない気持ちの中、必ず会えると半ば自分に言い聞かせ、探し続ける日々を送りました。
いつしかマイティドリームは私の中で「ショウナンマイティの弟」ではなく、唯一無二の存在となっていました。

そしておよそ10ヶ月過ぎた頃、マイティがある乗馬クラブにいることが分かりました。そしてつい数日前に転厩した事も分かりました。
がっかりと同時に生きていてくれた事に喜びを感じたその翌日です。
知人から連絡が来ました。
マイティがいた!と。

驚いたことに、引退馬協会様のサポートホースになっているタカラハニーのいる乗馬クラブに、そして隣の馬房にマイティドリームがやってきたのです。
驚き、喜んだのは私だけではありませんでした。
タカラハニーに会いに訪れていたHさん。Hさんもマイティドリームを忘れずに思ってくださっていた方でした。
Hさんは探していた子が目の前にいることを知り、生きていたことに泣き崩れたそうです。

マイティドリーム自身が持つ運と、彼を想う人々の気持ちが結びつき、この奇跡が生まれたんだと思います。

しかし当初は乗用馬として、優秀と思われていたマイティですが、若さ故か気性なのか、集中力が続かないことが多々あり、また若駒のころから旋回癖がひどく、傷が絶えませんでした。
その度にレッスンに出ることも出来ず、
そしてとうとう馬房内で旋回が原因の怪我を負い、限界がきてしまったのです。

私達の想いを知っていたスタッフの方から、何とか出来ないだろうかと声をかけていただきました。
ここを出てしまったら、次にいける可能性は0に近いとも。

そしてHさんをはじめ、マイティを見守ってくださっていた方々と共に、この子を支えていこうと決意したのです。

今マイティドリームは鹿児島のホーストラストで穏やかな日々を送っています。
しかしそんな中、悲しい知らせが私達に届きました。
マイティを愛し、マイティの余生を切望し、周りの方々の心を動かしたHさんが亡くなられたのです。


Hさんが亡くなった今は10人でマイティを支えておりましたが、昨今の原材料価格の上昇などで、ホーストラストも預託料が値上げされることになりました。また基本昼夜放牧ですが、マイティドリームは旋回癖により蹄の状態も悪かった為、サプリメントの購入や馬房の使用で毎月の費用が通常より高くなっているのが現状です。

今のまま10人で支え続けることはギリギリで、もし何かあったら。
マイティドリームがこの先も穏やかに過ごしていくために、Hさんが安心して空から見守れるように、どうすれば良いのか。
話し合いが進む中で、マイティドリームの会を設立し、一緒に見守っていただける方を募ろうという運びとなりました。
競馬では一度も勝っていません。
何千頭いる中の一頭にすぎません。
ですが、競馬という世界に翻弄されながらも必死に生きてきた、この世でたったひとつの命です。

ショウナンマイティの半弟、ディープインパクトの子、理由はなんであれ、尊いマイティドリームをご支援いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。